Beijing-Ulan Bator 2005

北京ーウランバートル オフィシャル同行記 
いままで、参加する立場でラリーに関わっていたが、今回はオフィシャルをしてみないか?と言うSSER山田氏からの依頼でオフィシャルをすることになりました。

スタートやチェックポイント、その日のゴールにたどり着いた時に出来上がっている大テント及び食事のサービス。
どのようにオフィシャルたちがレースと併走しながら仕事をこなしていくのかも興味があった。
華やかな舞台の裏側は、中々見る事が出来ないわけだし、縁の下の力持ち的な存在は競技者ほどでもないが、きつい面もあるだろうと覚悟しなければと思いつつ出発前には出場する時とは違った装備品の用意をした。
(と言っても、連泊のツーリングに出かけるより荷物は少なくテント、シュラフ、筆記用具・・程度で特別なものはないです)

8/5に北京に入りホテルでオフィシャルミーティング
北京スタートが諸事情により無しとなり、モンゴルまで競技者たちはバスで移動となった事がオフィシャルに伝えられた。
私の役割はRCP(レストコントロール)で、競技中の給油とタイム計測を行う。とにかく、決められた時間に私がそこにいないと、ガソリンは供給されずレースが止まってしまう。レース中、毎日行うわけではなく、同じ役割のチームがもう一つあるので、移動距離の関係から交代しながらとなる。
オフィシャル用の資料やGPS,イリジウム携帯、ハンディ無線機などを受け取り使用方法や注意事項を聞く。

8/6北京のホテルから空港へ。そしてウランバートルに昼到着。
この日からオフィシャルは各持ち場に向けて出発を始めるわけだ。
空港の駐車場にはオフィシャルゼッケンを貼った「ロシアンジープ」がずらり。一昔、いや大昔のデザインを思わせる軍用チックなジープ。
失礼だけど一見しただけで「故障中」と思わせる風貌だった。(しかし、こんな考えがほんとに失礼だったと後で反省するのだが)
無線機を取り付けたり、私と同行するメンバー紹介などで出発したのは午後4時過ぎ。
私の場合、初仕事がこの日より7日後!となるため、全て移動となるわけだが、いくらなんでも7日間移動し続ける必要はない。
早く決められたポイントについても、大草原、いや砂漠かもしれない場所をボーーーーーっと眺めているのも悪くはないが、たぶん耐えられないだろうと本部隊に途中まで同行し、頃合を見て自分の持ち場へ向かうことにした。

数台のコンボイで走り出したのだが、タンクローリーや機材を積んだトレーラーなど、悲しくなるくらい足が遅い。
夏のモンゴルの夜は10時前に日が沈む為、このくらいまではライトも点けず遠くが見れるため走り続ける事が出来るが、結局初日に進んだ距離は200kmにも満たなかった。
おまけによく壊れてくれるんです。
パンク、オーバーヒート、キャブ不調、タイヤが外れて飛んでいく!・・・しかし、どんなトラブルにも「どうしよう??とか駄目だな・・」的な悲壮感はない。
壊れた、直ぐ直す。また壊れた、直ぐ直す。 この繰り返し。
時間はかかるが確実に前に進んでいく。これがモンゴルでは普通なことだと、特別イライラすることもせず直す光景を見守る。

3日目には本部隊の設営地に付いた。
大きなテントを張り、2日後にやってくる競技者たちを待つわけだ。
私のチームは地図を眺めながら、ここをいつ出発するかを相談。
通訳が「何が起こるかわからないので早めに出ましょう」と言う。
確かに、土砂降りの雨も降ったし、車の故障も予測不可能なので早めに出ることは悪いことじゃない。

4日目の朝にいよいよ私たちだけの移動となった。
タンクローリーとジープ。私とモンゴル人4人。
移動を初めていきなりあるはずのない川が・・・ジープはギリギリ渡れたが、タンクローリーは渡る前に既に沈んでる。
迂回路も絶望的なので、一番近い村まで行き大きなトラクターを借りて牽引してローリーを渡らせた。

ラリーのオンコースはコマ地図とGPSポイントがあるのでわかるのだが、それをトレースすることはタンクローリーには無理。更にそんなコースを走っていたら時間的余裕はなくなる。したがって、ラリーのコースとモンゴルの地図とGPSで最短距離を見つけ、確実に早くポイントに向かう必要がある。
ただし、地図上に記載されている道もラリーのコースもたいして変わりはないんです・・距離が短いだけ良いってかんじ・・

私がドライバーに出す指示も、「先ずこの村まで行こう」そこまで着たら後はオンコースに乗ってGPSでポイントの確認をする。
と言った程度。

モンゴルの道は村から村まで1本ではなく、走ったところに跡が残り・・とにかくたくさん道があってどれが正規の道なのか、どれが地図上の道なのか分からない。
モンゴル人ドライバーですら分からないところが多くある。
したがって、走りながら人を見つけると聞き、対向車があれば止めて聞き、常に道の最新の情報や、村や町へ向かう道を確かめる。
一見時間ばかりかかると思うがこれが一番確実で、おかげで全工程ミスコースもなくスムースに進めた。

RCPポイントに近づいたが、いまいちよくわからない。
GPSで確認しながら場所を探す。試走時に置いた目印を発見しようやく一安心。
しかし、競技者が来るのは二日後・・・とりあえず、コントロールゾーンの開設(フラッグを立てるだけ)をして、全員の役割分担を説明する。ガソリン補給やタイム計測、再スタート時のカウントダウン等々。
今回はエコチャレンジと言う燃料消費の少なさを競うクラスもあるため、単に満タンには出来ない。
計量しながら入れただけの燃料をオフィシャルがカードに記載する。
しかし!計量と言っても20リットルと10リットルのジェリカンしかない。
エコのバイクなどは10リットルも入らない可能性もある。飲料水のペットボトルで計量カップを作ることにした。

ガソリンの補給もスムースに出来るのかをジープに給油しての練習。
ホースを出してきて取り付けるが、どうやって止めるの?と聞くと、ホースを折り曲げて「これで止まる」・・・・確かに止まるな。いいよ、止まるのならそれで良い。

出来ることはとにかく知恵を出して工夫するが、物理的に無理なことは気にしないほうが良いみたい。

この日は、メンバーもすることがなく、カードゲームなんぞしながらキャーキャー言ってる。私も一緒にどうだと言われたが、ルールを聞
いてもよくわからなかったので私は一人RCPの回りを散策。
しかし、変化に富んでいる地形でもなく、低い丘が連なっているのでそれを伝って歩くくらい。
見渡す限りの広い大地と広い空。風が吹いているので私に当たった風が音を立てるのみ。無風なら無音の世界。
雲を眺めていると、なぜか低い位置に雲があるようで手が届きそうな錯覚を覚える。

カードゲームに飽きたジープのドライバーが「明日みんなが来る。汚れたジープを洗いたい」と言うが、川もないし飲料水使えないよ。
「ここに来る途中、井戸があった。そこまで行って洗いたい」それならOK。
汚れたジープもそれはそれでかっこいいが、この場で綺麗になったジープがあるのは逆に余裕を感じるしね。

先にも書いたが、暗くなるのは夜の10時。オフィシャル日誌書いたり、明日のシュミレーションしたり。
(なにせ初めてのオフィシャルなので、真剣にレースをして時間と戦っている競技者に対してミスは許されないから)

地平線に沈む太陽に照らされた自分の影がこんなに長く伸びるのかと感心していた頃1台のバイクが来た。
夫婦に子供の3人乗り。奥さんに手にはなにやら包みが。
えっ?何処から来たの?丘から見てもゲル一つ見えなかったけど。
通訳が「先ほど車を洗いに行った時、井戸にいた人に食事を頼んでおいたそうです」「???」「日本語でなんと言いましたか?」
「・・・・出前・・」「出前!こんな場所で出前が来る!」
明日の朝もお茶とパンが来るそうです。豪華とはいえないが、暖かいうどんのようなものと、お茶、らくだのチーズ。
けっして美味い!と言えるものではないけれど、カップラーメンすするよりどれだけ贅沢なことか。
食事代は一人100円。
丁度その日はお腹を壊していた日なので、かなり残してしまいみんなに分けていたら、その出前の奥さんが「嫌いですか?まずいですか?」と英語で話しかけてくる。
英語できるんだ!・・・「いやあの、すごく感謝してます。しかし、ちょっとお腹がね・・」と・・話題を変えるため、出発前に同行のオフィシャルから「これ渡すと子供喜ぶよ」と言ってもらった、「笛ラムネ(名前は違うかもしれない)」これを取り出し、子供に渡す。
訝しげな顔をしてたので、封を切り私が先ず口に入れて「ピューーーー」って音鳴らしたら、ニコニコ顔になって、周りにいた大人まで欲しそうな顔しだして・・大人に混じって遠巻きに眺めていた子供が、うれしそうな顔して何か言っているが言葉は分からない。
でも、子供がニコニコしていると回りの大人もニコニコしてくるからこれでいいんだ。
食事が済んだら、彼らはまた3人乗りのバイクで暗闇に消えていった。
さて、いよいよ今日は競技者が来る。
予定では昼頃から来始める。朝食の出前もちゃんと来て(昨夜渡したうちの会社のステッカーが既にバイクに貼ってる)いつも上半身裸のメンバーも、今日ばかりは揃いのTシャツを着て、ほんとにレースは行われているのか?と言う錯覚をしていたくらいの、のんびりムードから、それなりに緊張が漂ってきた。

13時。トップライダーが遠くから砂塵を上げつつ近寄ってくる。
トップライダーはやはりと言うか、過去数回優勝経験を持つモンゴルライダーのガントルガ。次のライダーは来る気配がない。
少し話をする。「初日に3時間ロスして、まだ順位は低い位置なんだ」「でも、このまま行けば何とかなるかな」「OK,とりあえずここは1時間休憩だからゆっくり休んでくれ」しばらくしてから続々とライダーが入ってきた。
到着時刻、出発時刻の記入が忙しい。
なにせ一人で記入しているから、とりあえず到着時刻とゼッケンをメモしてカードを預かり、書き込んでから競技者に配ることにした。
途中、本部のヘリが下りてきたが、直ぐに飛び立ってしまった。
燃料も少なく、けが人を二人乗せているとのこと。

競技者の中には何人か知り合いがいるのだが、帽子を被り、サングラスを掛け、無精ひげを生やし、首にはターバンを巻いているいでたちの私が声をかけても「だれ?」みたいな顔をされ、俺だって俺。「の・ぐ・ち」「おーーーー」と、こんな状況下で久しぶりに会うことを
喜んだが次の言葉は「全然気づかなかったよ」

前転してフロントを大破させて来るバイク。骨が折れたまま走って来たライダー。疲労の色が全面に出たライダー・・・・
100%安全なレースなどないのだが、予測できそうなことはオフィシャルの判断でリタイヤ宣告となる。しかし、その基準はかなり難しい。

日も暮れかかった21時。最後尾のトラックが来て給油。
本部にイリジウム携帯で本部に連絡を取り、翌々日のRCPに向け出発。
ここから800km先・・。
今日までは時間がたっぷりあったが、今度は極端に時間が無い。間に合わないことだけは避けたい。
最終SSの最終給油であるから、ここに間に合わないとせっかく上手くいったレースも・・それは考えないで、とにかく進もう。

今までは夜の移動は極力しなかったが、今日は別。
「着くまで寝ない」とメンバーに言ってスピードの乗らない道を進んだ。
中継する村を指示して、道はドライバーに任せる。
ドライバーは最短の道を探すべく、今までと同じように道を聞くのだが・・・夜も更けて聞く人もいない。
最初の通過した村では若者がたむろしていたので、次の村に行く道を先導してもらった。村から伸びる道は無数にあり1本間違うと、どんどん目的地から遠ざかってしまう。標識などないので、数ある道の中から目的地への道を探すのは困難。
なので、その中から確実な道を行くには地元の人に先導してもらうのが最良の方法だった。

途中、パンクなどのトラブルはあったが、6時間程度で200km進んだ。まだまだ先は長い。しかし、途中から首都まで延びる舗装道路があるため、そこまで行けば時間が読める(故障しなければだが)悪いこと考えればきりがないので、俺らは確実に着けるから心配ないと、何の根拠もないがそう思うことでピリピリした雰囲気からは少し開放されての移動だった。

寝ていてくれとドライバーが言うので、少し寝させてもらった。
乗り心地が良いとは言えないロシアンジープだけど、慣れてくるとぐっすり寝れる物だな。試作していった新しい座布団も効果抜群で、2枚作った1枚はドライバーが離さなかったくらいだから、それなりに楽なんだろうな。

出発して30時間後、最終のRCP地点に到着。ここは橋があるのでわかりやすい。
しかし、今までは気温の高い場所にいたのだけど、ここは寒い。ダウン着込むくらいの寒さ。
午前3時をすぎていたし朝の寒さだろうと思ったが、夜が明けたら曇り空な上、小雨も降り、風も強く、本当に冬のような寒さ。
もともと寒がりのせいもあるが・・・カッパのパンツをはいて、フリースとダウンジャケットを着て・・昨日までは上半身裸でも良かったのに・・。

硬い地面に鉄杭を打って、フラッグを並べコントロールゾーンの開設完了。
本部に開設完了の連絡を入れるが、それを伝えてからリタイア状況を聞く時には、イリジウムの電波は途切れてしまった。
たいしたことではないし、給油できることを伝えた時点で肩の荷はとりあえず下りた。
後は、タイム記入をすれば役目を終えることが出来る。

最初のRCPでは、かたまって競技者がやってきたが、今日はかなりばらけてやってくるので、余裕を持ってできた。
完走確実になった競技者たちはみな笑顔で、二日前の疲れた顔は少なく楽しそうだった。
そんな顔を見ていると・・「やっぱり、レースは出場するほうだな・・・」そのうち・・じゃなくて、直ぐ何処かで!と言う気持ちが強く・・でもまぁそのうちですね・・。

無事役目を終え、撤収し始めた頃には雨。やっぱり俺たちはツイてるな!と、メンバー共々無事仕事を終えたことを喜び握手をして、雨の中ウランバートルに向かった。
既に、競技者のパレードも終わり、ホテルで熟睡している頃にやっと私たちはウランバートルの夜景を見る。
けっして100万ドルの夜景ではないが、フロントガラスの雨粒に反射した光がキラキラと綺麗に見えた。

こうして、9日間のオフィシャルとしてラリーを見たが、正直言ってラリー自体と接する時間が少なく、メンバーやモンゴルの大地、モンゴルに住む人々とのふれあいが大きく占めており、けっして観光旅行のような感じでもない、広く浅くだけれどモンゴルが見られたことが自分にとって良かった。
言葉は通訳以外通じなかったが、毎日同じものを食べ同じ場所で寝ていると、不思議と意思の疎通は取れるようになるし、メンバー達も文句も言わず目的を理解して行動してくれた事は本当に良かった。

いいメンバーに恵まれたかもしれないが、いいメンバーにしていくためにもモンゴルで遊ばせて貰っている気持ちを持った日本人としての気持ちが大事なんだろうと思う。

さて、次は何処にいけるかな? どこでも行きたい。
どんな所に行っても、楽しく笑って遊んでいたいですね。

2005/8/20