Beijing-Ulan Bator 2006

ベイジン―ウランバートル

第10回ベイジン―ウランバートル。
今年は昨年に続き2回目のオフィシャルでの参加となった。
今回も役割はRCP(レストコントロール)1時間の休憩と燃料を補給するチェックポイントの係。
RCPは2チームあり私はRCP2。チームの日本人は私一人で後はモンゴル人スタッフが4名。
通訳は昨年と同じだったので、与えられた地図と仕事をする日などの説明は割と早くできた。
要は「確実に与えられたポイントに早く着いてRCPを開設する」が、ポイントなので、ここは地元に詳しいモンゴル人ドライバーの意見を尊重して、ラリールートとは違った道を選んでもらうしかない。

スタート前日にヌフトホテルを出発した。ここは第一回に出場した時に泊まったホテルだ。
懐かしさより、これからの緊張のほうが大きい為思い出に浸っている暇はない。
RCPに必要な機材「フラッグ、ジェリ缶、無線、飲料水・・・」などなど、リストに基づいてジープに積み込む。
日本のように「あっ、あれ忘れたから次の町で買おう」ってことはモンゴルではまずできない。

今回は10日間のうち、その半分5日間のRCPとCPをやることになった。
業務を行う日が一日飛びなら良いのだが、3日続く日もある。
移動ルートをミスしたりしたら遅れが生じてしまう。なので、ことあるごとに地図を出してドライバーと移動時間、移動ルートの打ち合わせをする。

車両はいつもの如くロシアンジープとロシアのタンクローリー。
「これは何キロ走っているんだ?」
「50万キロ・・」 「・・・50万キロ??」
嘘だと思うが、まぁいいや。
仮にそれだけ走ってきたということは、それだけ丈夫だと言うことだ。
少々のトラブルで前進不可能になることはないだろう。
壊れても、ロシア製の部品はわりと手に入りやすい。
昨年同様、止まることもあるだろうがそんなに心配はない。

移動を開始して2日目。
やっぱりと言うか、タンクローリーのオーバーヒートが頻繁に起きる。
「ヘッドガスケットが飛びました」みたいなこと言ってる。
「わかった、次の街が最後だからそこでガスケットが買えるだろう。
まだ時間はあるから直そう」大きな街でガスケットを探し購入。
同時に出発時あれだけ入念に機材チェックしたにもかかわらず忘れた物があったので購入した。
(ここで思い出さなければどうなっていたことやら・・何とかしただろうけどね)

そんなわけでヘッドガスケット交換となったわけだが、水を抜く為大量の水がある場所、井戸か川のあるところで明るいうちにやりたいという。
幸い1時間ほど走って川があったのでそこでガスケット交換。
「2時間で終わる」
はいはい、と返事をしつつ6時間だろうなと次の移動ペースと行程を一人で考えていた。
案の定、全てが終わったのが7時間後。
「調子が良くなった」と、ドライバーが笑っている。
これで、この先ノートラブルで進めると思えば7時間のロスはたいしたことではない。

レース三日目。
初仕事であるCP。
通過のスタンプを押して通過チェックをするだけなのでそれほど忙しくはない。
問題はここに辿り着く手段だった。
私が安易にGPSを頼りに道ではないところを走らせ、10数キロを直線で繋ぎこのCPに着いた。
この行為がモンゴル人ドライバーにとっては初めての経験で、GPSにすっかり魅了されてしまった。

このCPが終了し次のポイントまで直線で36km。
日本ならタバコ吸って一息で行ける距離。
出発したのが午後九時。
地図上では山もないが・・・
モンゴル人ドライバーは「GPSはどっちを指している?」この質問の繰り返し。
道を探すどころか、GPSの指す方向にひたすら向かうのみ。
空から見ると平原で平に見えるが、道では無いところを走ると凸凹が多く走りにくい。
平均時速10kmも出ない。
しかも後ろにはタンクローリー・・。

この時私はまだ時間的余裕があったので、(仕方がない、一度は失敗させて今後はGPSで進むのは危険だ)と言うことを身を持って体験してもらおうとそのまま黙って見ていた。
残り2km。
もうポイントが見えるくらいのところにいるが目の前は砂。
一見走れそうだが、ジープでもスタックするくらいの柔らかさ。案の定、ついて来たローリーはスタック・・・。
スコップで掘って、掘って・・・

「だから、この機械はポイントは示すが道は示さない。
戻れない場所まで進んでしまったら取り替えしがつかないから、これからは遠回りでも【道】を通る」そう言い理解してもらった。
特に見通しが利かない夜のGPS走行は危ないので、十分に理解してもらうまで何度も話をした。

それから直線距離2kmを迂回し30数キロを走ってポイントに着いた。
6時間・・・。
「急がば回れ」このとき人生でこれほどこの言葉が当てはまったことはない。
まだ開設まで時間がある。カップラーメンしかないが、それを食べて寝よう。
食べ終わり、グランドマットを敷き寝袋に入る。

普通なら直ぐに寝てしまうのだが・・プーーーン プーーン ブーーーン
蚊の大群!尋常じゃない大群!
近くに湖があるからなのか、ありえないうるささ。
しかも、刺されるときっちり痒い。
ターバンを顔に巻きつけ、ミイラみたいになって防御するが隙間から入ってくる。

その時横で寝ていたスタッフがついに「いややーー!絶えられん!寝れへんやないかーー!!」(モンゴル語でそう言ったと思う)そう叫んで、頭をかきむしりながらジープに中に逃げていった。
私も同じ気持ちだ・・。
そうだテント持ってきてるじゃないか。
ジープに行ってテントを出す。
蚊が一緒に入らないよう慎重に素早くテントに入る。
スタッフが俺も入れてくれと言うが、2人用に2人はきつい。
かわいそうだがダメ!と断った。
それ以降は遠くに蚊の音が聞こえるだけで眠りに付くことができた。

次の日も燃料補給をする業務がある。
その日、選手に燃料を補給しながら頭の中は今晩の移動で頭がいっぱい。
行き先は目の前に見えるでっかい山脈越え。
GPSは60km先を指しているが、迂回路は唯一つ。
遠回りして峠を越えるしかない。
日が沈みかける頃移動を開始した。
日が沈み強風が吹いてきた。
砂が多い。
真っ暗になった頃、吹き荒れる風に運ばれた砂で前が見えない。
これが砂嵐か。

道を知っているというタンクローリーを先導させるが、そのテールランプは少し車間が開くだけで見えなくなる。
無線の調子が悪くローリーと上手く交信できない。

涸れた川に出た。
その時見た光景が今でも忘れられない。
涸れた川には砂が堆積し、強風で砂が動いているように見える。
まるで砂の川が流れているようだった。入ったら流されるような怖さを感じた。
こんなフカフカの砂川を進めるのか?

しかし、その先に峠に繋がる道がある。
行くしかない。
迂回路はまだあるが、それはかなりな迂回なので時間が間に合わない。
ジープは何とか渡ったがローリーはどうだろう。
一旦スタックしたら数時間はロスするだろう。
不安もよそにローリーの運転手は素晴らしい加速で一気に渡りきってくれた。
山岳路は小さながけ崩れをスタッフ全員で岩をどかしなら何とか越えた。
動かない大岩は前後に小さな岩を積み上げてスロープを作り、ローリーが横転しそうなくらい傾きながら越えたりもした。

もう2時だ。そんなに時間はない。
しかし、この峠を越えたから後は道を探し10km圏内にポイントが着たらGPSを併用して進もう。みんな眠いだろうけどもう少しだ。頑張ってくれ。
そう話しているとき、真夜中の峠のてっぺんで馬に乗った若者に出会った。
こんな夜中にこんな場所で何をしているのか分からない。
しかし、月明かりで照らされたシルエットがとても印象的で神々しくすら見えた。
馬に乗った彼にしてみれば、何でこんな夜中にジープとタンクローリーが峠を越えてくるのか理解できなかっただろう。

GPSで無謀な直線突き抜けをしない遠回り作戦は、その後スムースに行程を消化することができた。
8日目の給油の業務が全て終わったとき、足の遅いローリーにはここから別行動を取る事を伝えた。
最後の業務は最終10日目のゴールCPなので燃料はいらない。
ここから600km以上を主要道とは言えローリーと2台で走るのはきつい。

移動途中2年目にして始めて本部隊(毎日のキャンプ)に合流した。
久しぶりにモンゴル食じゃない「いつも食べている」風な食事を食べた。
コロッケ、パスタ、から揚げ・・・ビール!うまい!ほんと美味かった!
モンゴル料理は食べられないわけではないが、そのバリエーションの少なさから毎日それだと飽きてしまう。
殆ど毎日スタッフとモンゴル料理をともにしていたので、どうしてもいろんな味の料理が食べたくなってしまう。

次の日はまた移動だったが、山田社長から「移動はジープに任せて野口は今日ヘリに乗れ」と言われた。
ヘリから見るモンゴルは、車から見る風景とはまた違って、言葉は陳腐だが「果てしない絶望的な広さだった」どこまでもどこまでも緑の草原が続いている。

ヘリから見ると回りは地平線しかないのに眼下にポツンとまんまるの白いゲルが見える。
朝食の用意だろうか、乾燥した家畜の糞を燃やした煙が、ゲルの真ん中から出た煙突から出て風に流れている。
人は見えないがその中の暖かい生活感が伝わってくる。
大変だなとかかわいそうだなとか、自分を基準にした価値をそのゲルにぶつけても意味はない。

そこで生活する意味はその人たち聞いてもたぶん分からないだろう。
昔からそうだっただけだと思う。
見ている私も2年目ともなると驚きが少なくなり、そうした光景を見てもこの土地の極普通なこと。
くらいにしか見えず感動は生まれなかった。
(でも、案外その人たちに質問すると「都会に行きたいけど金がねーんだよ」「好きでこんなとこに住んでるんじゃないわよ」とか言われたりして・・・)

長かったようで短かったと言いたいが、やはり長かった。
思い出は昨年の数倍ある。
これを書いている今でもいろんな出来事がまだ鮮明に思い出される。
頑張ってくれたモンゴル人スタッフには感謝している。
自分の業務が滞りなく遂行できたことは何よりだった。自分だけではなく他のスタッフの頑張りが無事ラリーを成功に導くことができた。

再来年に第11回が開催されるが、私はその時何をしているだろう。
またオフィシャル?違う。エントラント?そうだな、やはりまた走ってみたい。
いや、まだまだ行ったことがない土地はたくさんある。
ラリーは大好きだ。
だから違うどこかで遊んでいるのかな。
モンゴルに飽きたわけではないけど、モンゴルに限らずまだまだ知らない土地、知らない文化、知らない人がたくさんいる。
もっともっといろんなことを見たり聞いたりしたい。これからもずっと。

最後に出場した皆さん、共にオフィシャルをした皆さん本当にお疲れ様でした。
またどこか素敵な場所で思い切り笑いながら逢いましょう。

28/08/2006

野口英一